1999年7月、沖縄サミットの開催が名護市のブセナで閣議決定した。私が金秀建設に入社して2年目のことでした。その頃ちょうど、ブセナゴルフリゾート開発工事に工事主任として配属され、当時の上司である又吉勉部長や東急建設から出向でこられている前田所長の「うわー大変なことになったぞ」その言葉がこのプロジェクトに配属された責任の重さを感じたことを覚えています。
ただ、人生に一度経験するかどうかというゴルフ場工事に携わることの「ありがたさ」はありました。そのスケールの大きさといったら、半端じゃない。大型工事に関わったことのない私は、開発面積1,590,000㎡、切盛土量3,250,000㎥、工事費40億円と圧倒的なスケールに目もくらむ思いでした。
オーシャン1番造成工事測量する場所に行くだけでも徒歩で3時間もかかった。起伏の険しさは登山と言ってもいいほど。
金秀グリーンの瑞慶覧部長(当時)と樹木の伐採範囲を測量する場所まで行くのに、弁当と水筒を担いで徒歩3時間もかかるウッズコースの起伏の険しさは、登山といっても言い過ぎではないでしょう。足を一歩踏み外せば五体満足では帰れないといった恐怖心さえ感じました。それから夕方まで測量をすませ、クタクタになりながら、往路で付けた目印を頼りに現場事務所に向かうのですが、夕日が落ちるのも早く、事務所につく頃には周りは真っ暗になっていました。事故につながらなくて良かったと心底思います。
切り盛り土工事で扱う土工量も並の量ではなく、ある日、土工量約1万㎥(50mプール4杯分)をなんと一日で施工!ということもありました。モータースクレーパーやブルドーザー、 20t積み大型ダンプや超大型バックホウが連携して作業するさまは思わず見とれる程でした。
その土工事で思い出深いエピソードがあります。ちょうどウッズコースの切り盛り作業をしているころ、呉屋秀信創業者がお見えになり、後から駆けつけた私達に「みんな頑張っておるね」と現場の労をねぎらったあと「さっきから見ているが、土を運んでいるスクレーパーが転ぶとすぐにブルドーザーが後ろから排土板で押して立て直す。この連携は圧巻だね」とのお言葉でした。
早速その日の安全工程打ち合わせで、「今日、創業者からお言葉を頂きました。スクレーパーが転倒した後、押しブルで起こしてすぐに仕事をするのに感心されていました」と報告をしたところ、下請の職長さんは、バツが悪そうに「すみません。もう少し慎重に作業するよう運転手に言っておきます」と話されました。
上記の作業が安全な施工方法ではないと気づかない当時の私の、安全に対する意識の低さを痛感する出来事ですが、あの時の創業者のお言葉は、私達の慣れによる安全意識の低下をさり気なく諭すとともに、現場のモチベーションを維持高揚させるものであったと思います。今更ながら創業者の人となりを垣間見ることのできる私の思い出です。
ウッズ2番~3番 ボックスカルバート設置ダム工事、道路工事、造園工事、電気、水道と多岐にわたるプロジェクトでした。
今回、70周年記念誌に出稿するにあたり、過去の自分を振り返る機会を頂くことができました。そして、優しく見守って頂いた創業者、呉屋会長、当時の安里社長、指導して頂いた諸先輩や関係者の方々にあらためて感謝申し上げます。
ゴルフ場開発工事は、ダム工事、道路工事、造園工事、電気、水道等のインフラ工事など多岐にわたる工事でした。このようなプロジェクトに建設技術者として関われたことは私自身の技術の向上、なによりも社会人としての人間性を高めることにつながっていると思います。重ね重ね感謝の意を込めてペンをおきたいと思います。ありがとうございました。